毎日を自由にのびのび生きていく【第6回】人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.5
長崎県佐世保市を中心に新築注文住宅や戸建てリノベーションの建築会社As designを経営している私が日々思うことを率直に書いていく日記のような綴りです。
みなさんこんにちは、As designの代表 亀野明子です。
7月に入って本格的な梅雨ややってきましたね。
以前は梅雨の時期はジメジメしてお家の中も梅雨特有の嫌な匂いがしたりシロアリを発見したりとあまり好きな季節ではありませんでした。
それがこの家を建ててからは毎日雨が続いてもお家の中はカラッとしていて洗濯物に悩まされることもなくなり、大雨が続いても恐怖を感じることもなく快適に過ごせています。
やっぱりどんな家に住むかの違いで人の人生は大きく変わるなと実感しています。
さて、今回も前回に続いて人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.5の始まりです。
第1回をまだ読んでいない方はこちらから読んでみてください。↓
佐世保市役所で働く
またもや母の勧めで働き口を見つけた私。
ジャスコを辞めて佐世保市役所の臨時職員として働きます。
この仕事は期間が決まっており1年間という契約でした。
配属されたのは”長寿社会課”、「え?何課?」というのが素直な感想でした。
記憶が確かであればおそらくこの時できたばかりの課だったと思います。
日本の少子高齢化を象徴するようなこの課での私の仕事は以下のような内容です。
調査員のおばちゃんたちが集めてきた調査報告書を整理してデータ化するというのが主な業務内容でした。
私の他に数名の女性が同じ仕事をしていて毎日楽しく働いていました。
スタートしたばかりの課だったため、決まっていないことも多くそんなに忙しいということもなくのんびりとした雰囲気でした。
データの整理と入力が主な仕事のため、基本的に調査が終わらないと仕事が発生しません。
そのため、自然と同じ立場の人同士で話す機会が多かったのを覚えています。
その時は私が一番年少で上は30歳くらいの人までの女性5〜6名がおり、
このあたりの人間が集まると話題はやはり恋愛・結婚がメインとなります。
基本的にそういう話に疎い私は専らを聞く係でした。
話を聞いていると市役所の職員さんと結婚をする目的で入ってきた人が半数ほどしてびっくりしたのを覚えています。
中には彼氏はいるけど、より良い条件を求めて隣の課まで狩に出かける猛者もいたり、
実際に臨時職員で入社して1年で結婚した人たちもいました。
この時私はまだ20歳くらいだったので結婚の話に全くピンと来ず、自分には関係のない世界の話を聞いている感じでした。
ただ、ちょうどこの時期私は運命の出会いをニアミスします。笑
おじゃる丸しか好きじゃない人
この時期、私はおじゃる丸が大好きだったようです。笑
おじゃる丸ってみなさん知ってますか?
自称やんごとなき雅なお子様のおじゃる丸が平安時代からやってきて石好きの男の子カズマの家に居候をはじめる話です。
私はこのおじゃる丸の世界観がとても好きで見るたびに心が穏やかになっていたような気がします。
20代は終始何かにハマっていておじゃる丸もその中の一つでした。
【私が20代の頃にハマって集めていたもの】
・及川光博(ミッチー)ライブに行ってはグッズを買う。
・おじゃる丸
・ナイトメアビフォアクリスマス
・サンダーバニー(Rodney Alan Greenblat)
・パラッパラッパー(Rodney Alan Greenblat)
・ウンジャマラミー(Rodney Alan Greenblat)
このあたりの関連グッズを見つけては買い見つけては買いを繰り返していました。
おじゃる丸に関しては、市役所で一緒に働いていた年の近い女のコから「大塔ジャスコにおじゃる丸が来るよ。ふる好きやろ?私も一緒に行ってあげるから、写真撮っていいよ。」とありがたいお言葉をいただき写真を撮りに行ったことを写真の整理をしていて思い出しました。
この一見無駄に思えるおじゃる丸にどハマりしていた私がこの後20年後の私の人生を大きく変えるきっかけになります。
年賀状からの長崎デート
この年の年末に市役所の職員向けにカメラのキタムラの年賀状の印刷サービスのパンフレットが置いてあるのを見つけて眺めていると、おじゃる丸のテンプレートを見つけてしまいした。
通常このような年賀状は、結婚したり子供の成長を報告したりする家族向けのサービスで価格も枚数が少ないと単価が高くなってしまうし、そもそも年賀状を出す習慣のない私には無縁のサービスなのですがおじゃる丸が好き過ぎて年賀状をつくりたい衝動に駆られた私は10枚程度作ることにしました。
普段から年賀状を出す習慣のない私にも年賀状をくださる数少ない貴重な人たちへおじゃる丸の年賀状を送ることにしました。
その中の1人が今の夫です。笑
この年賀状がきっかけで当時まだ大学生の夫(当時は亀ちゃんと呼んでいたので以下の文章では亀ちゃんと呼んでいきます)と2人で遊びに出かけることになります。
亀ちゃんは佐賀に住んでおり、佐世保に住む私の家まで車で迎えにきてくれたのち長崎までドライブデートに出かけました。
この時のことはほとんど覚えていなかったので、20年ぶりの亀ちゃんからの突然の連絡をきっかけに記憶を辿るためアルバムを見ていたところ奇跡的に出てきた写真からの推測と朧げな記憶を元に書いています。笑
なぜか長崎に行くことにした私たちは事前に市役所の美味しいもの好きの職員さんから聞いたおすすめの皿うどん屋さんにいきました。多分。
その後、大浦天主堂と稲佐山に行って写真を撮っているようです。
楽しく過ごしたのち帰りも佐世保まで送ってくれるという亀ちゃんの言葉に甘えることにして帰ります。
今思うとわざわざ佐賀から佐世保に来てそれから長崎行って、また佐世保に戻って佐賀に帰るって相当な距離を運転してくれていたのだなと心がきゅっとなります。
当時の私のリアクションがどんなだったのかは想像に難しくないのですがおそらくぼーっとして空気を読まず普通に友達としておじゃる丸の話ばかりしていたのかと思うと本当に我ながら酷すぎるなと反省しかありません。
その結果、お互いイイなと思っていたであろうはずがなんの進展もなくそのまま20年という月日が流れるのでした。笑
※20年ぶりの再会から結婚に至るまでのお話はこちらをご参照ください。
母の再婚と4回目の引越し
ようやくここまで辿り着きました。
記憶をたどりたどり書いているのでなかなか思い通りに進みません。
母が再婚することをきっかけに再び引越しをすることになります。
この時のメンバーは
・私
・母
・母の再婚相手
・妹
・妹の彼氏(現在の夫)
・弟
の大人ばかりの6名でした。
これまで女子供ばかりで楽しく暮らしていた私たちでしたが母の再婚をきっかけになぜか妹の彼氏も同じタイミングで一緒に暮らすことになったようで、この大人数の家族が暮らすための家を母たちはまた見つけていたのでした。
次回:4回目の引越しと家族の変化
ちょっと疲れてきたので続きはまた来週に持ち越します。
毎回、引越す引越すと言いながらなかなか引越さなくですみません。
次回こそ引越した後の話を書いていきます!
それではまた来週お楽しみに。
つづく