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毎日を自由にのびのび生きていく【第1回】人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.1

毎日を自由にのびのび生きていく 【第1回】

 

長崎県佐世保市を中心に新築注文住宅や戸建てリノベーションの建築会社As designを経営している私が日々思うことを率直に書いていく日記のようなものを今日から始めます。

みなさんこんにちは、As designの代表 亀野明子です。

「ん?急に何?」と言う感じだと思いますが、私の考え方や生き方をAs designを通してみなさんに共有したいという思いが急に高まってきたため、それを文章にしていこうと思います。

私はいつも「思っていても言葉や行動に出さなかったら、それは思ってないのと同じだ」と思って生きています。

よく、家族や夫婦間などで「大好きで大切なのは当たり前でそんなのいちいち口に出して言わないよ。人前で身内や自分を褒めるなんでおかしいよ。それが普通。」っていう言葉を耳にします。その度に私は「普通って何?そんなのが普通なわけないじゃん。」と反論しています。

どんなに私のことが大好きで大切にしてくれる人がいても、その人にいつも辛い言葉を投げ捨てたり酷い態度をとっていたら誰だって嫌になって離れてしまいます。

だから、私は大好きな人には「大好き」だといつも伝えるし、必要な人には「あなたが必要」だと伝えるようにしています。もちろんそうでない人には私の元から自然と離れたくなるような言動をとらせてもらいます。

それは、自分に対しても同じで思ったよりもいい成果が出せたりした時や人に喜んでもらえるようなことができた時に自分で自分のことを褒めています。

本当の意味で自分のことを大切にできるのは自分しかいないから。

余談ですが2019年に結婚して、私が独身時代に1人で建てたお気に入りのお家で一緒に暮らしている夫には大好きだなと思ったら「大好き」と、かわいいなと思ったら「かわいいね」と伝え、喧嘩をして嫌いだなと思ったら「嫌いだから」とお伝えしています。

言わないとわからないからね。

そうやって自分が考えていることや想いを誰かに知ってもらうことは生きていく上でとても大切なことです。

皆さんもぜひ、大切な人に「あなたのことが私の人生の中で一番大切だよ」と伝えてみてください。

きっと、相手もあなたのことを今以上に大切に思ってくれると思いますよ。

そして、それは働く上でももちろん同じく大切で、As designで家を建てたりリフォームをしてくださっているお客様だけでなく、一緒に働いてくれているスタッフや多くの職人さんやメーカーさんにも知ってもらえて共感してもらえたら、もっといいモノができるんじゃないかなと思っています。

我が家の大きなミモザの木と私

 

 

衣食住×働く人

 

記事の内容は、人の暮らしに密接に関わる「衣食住」×「働く人」というテーマについて書いていこうと思います。

これといって特定の趣味のない(というか何をやっても続かないとも言う)私にとって、生きていくこと自体が趣味のような感じで、毎日楽しく自由に生きていく上で私にとって大切な「衣食住」の選び方や考え方について書いていく予定です。

また、基本的には「働く」ことが好きではない私なのですが、いざ目的ができるとそこに向かって一直線に誰よりも「働く」ことを楽しんでいる私。

自分でも不思議なこの「働く」ということに対して思うことをいろんな働く人を通して書いていけたらいいなとフワっと思ってます。笑

 

毎週月曜日のお昼12時更新

 

ちなみに毎週月曜のお昼12時に更新していきます。

※ここで宣言をしておかないと絶対に更新が止まってしまう自信があるので。。

毎週月曜のお昼12時更新の理由は、私の大好きな「しいたけ占い」のVOGUE GIRLでの更新が月曜の12時だからです。

「同じことをずっと続けて習慣化していく」ということが何よりも苦手な私にとって更新が「楽しみ」になるような工夫をしようと思ったのがきっかけです。

私のお休みは毎週水曜日なので「土日休みの人が迎える憂鬱な月曜日」とはちょっと違うのですが、一番忙しい週末の打合せを乗り越えて休みの水曜日まであとちょっとという、少し疲れが出た月曜日の午前中の社内MTGを終えて、お昼ごはんを食べながらチェックする「しいたけ占い」は私の心を元気にしてくれます。

しいたけ.さんの愛のある個性的な言葉に「しいたけ.さん、また私のこと書いてるよ。いつも褒めてくれてありがとう。」と驚きと愛情を感じながら「やっぱり今日も仕事頑張ろう」と思ってしまいます。

とても残念なことにVOGUE GIRLのクローズに伴い週刊「しいたけ占い」は2023/05/29(月)が最終更新になってしまいます。今まで本当にありがとうございました。

今後は何か楽しみを見つけて生きていこうと思います。

 

 

朝日が差し込む2Fホール。1F玄関に植えているウンベラータがここまで伸びてきました。

人生の気づきをくれた、豊かな住まい。

 

さて、前置きがかなり長くなってしまいましたが記念すべき第1回のテーマは私の本業でもある「住」について書いていきたいと思います。

住まいについて私が意識を持ち出したのは建築の仕事を始めたことがきっかけでした。

それまでは「与えられた箱に合わせて暮らす」というか特に家について考えたことは皆無でした。

実は私の母は引越し好きだったため、佐世保市内で6回も引越しをしています。

一番最初の引越しは私が小学校に入る前でした。

そのきっかけはある日、父から「お母さんはいなくなる。妹と弟はお母さんと一緒に行くけど、あきちゃんはお父さんとここに住むよ。」と言われたのです。

衝撃でした。笑

小さな子供の世界からお母さんがいなくなるって世界の終りと同じでような感覚で、子供ながらに「お母さんがいなくなって、お父さんとおじいちゃんとおばあちゃんと私でここに住んだら、私の人生暗くなる。終わった。。」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。

父や祖父母のことは多分好きだったし、嫌いということは全くなかったのですが、「この人たちがいなくなっても私の人生何も変わらないだろうけど、お母さんがいなくなったらとんでもないことになる」と何となく思っていました。

結果、そうはならずに母や妹と弟と一緒に私も引越すことになり一安心したのですが、当時の私は自分のことを暗くておとなしい子供だと思っていたので、「暗い子供+男+老人」で住んだらなんか暗い生活になるとも思ったのかもしれませんね。我ながら賢い子だなと思っています。笑

 

最初の引越しと住まい

 

初めての引越し後、住んでいたところは2LDKの築浅のアパートでした。

私が小学校に上がる直前のタイミングだったと思うので母が私の通学を第一順位に選んでくれたのか、小学校まで徒歩30秒ほどの距離でした。笑

当時、集団登校がありアパートの目の前が私の合流ポイントで最初の頃はお姉さんたちと一緒に30秒ほどの距離を一緒に登校していたのですが、当時から朝が苦手な私は次第にみんなの集合時間に間に合わなくなり、責任感のある6年生くらいの女の子がいつも家まで迎えにきてくれていました。

さらに、起きるのも遅い上にご飯を食べるのもマナケモノの動きのように遅かったため、それにも待たせてしまうようになってしまい、母も申し訳なく思ったのか「あきちゃんまだ準備出来とらっさんけん、先に行ってよかよ。ごめんね。せっかく迎えにきてくれたとにね。ありがとう。」と言って、私は学校の始業のチャイムが鳴りはじめたタイミングで「やばい!!!」とダッシュで教室まで向かいギリギリセーフで授業を受けておりました。

学校が近いって便利ですね。

私的にはその時暮らしていたアパートは新しくてなかなか気に入っていて、以前の父達と一緒に暮らしていた古くて暗い家よりも快適だったのを覚えています。

図解:小学校1〜3年生まで暮らしたアパートの間取り図(たぶん)

 

部屋は私と妹と共有で二段ベッドと私の学習デスクが置いてあり寝る時以外に使用していた記憶はほとんどありません。

覚えているのは二段ベッドの私が上の段、妹が下の段で寝ていたのですが、私は1人でのびのび寝たいし「寝る時ぐらい1人で寝させてよ」と思っていたのに対して妹は私と一緒に寝たいと泣いてよく母が仲裁に入ってくれていました。

絶対嫌だと頑固な私と泣く妹。最初は優しくお互いの話を聞いてくれていた母もだんだんと怒りだし

「あきちゃんも!いいやんまだ小さいっちゃけん!狭くないないやろ!一緒に寝てやりぃ!」

「あいちゃんも!こっがん嫌がられとるのになんで一緒に寝らんばとね!!もうよかやろ!!諦めりぃ!」

結局、泣く妹の「一緒に寝るーー!」に負ける形で一緒に寝かせられていました。

ただし、母は私の意見も考慮してくれて「一緒に寝るけれど頭の向きは逆」という妙案を考案してくれました。笑

私は1人で寝ている気分を味わえ、妹は一応私と同じ布団で一緒に寝ているという。

2人ともそれぞれ、半分ずつ我慢して半分ずつ満たされる。

母って天才ですね。

図解:1人で寝たい小学生の私と2人で寝るのを諦めない妹

 

転校を伴う転居

 

そんな小学校生活を送っていたある日、小学校3年生の夏休みをタイミングに2回目の引越しをすることになりました。

理由は、母が勤めに出だして母方の祖母が私たちの面倒を見るために通ってきていてくれていたのですが当時住んでいたアパートはバス停から坂道を15分ほど歩かなければいけない距離だったため、車の運転ができない祖母には負担が大きく、3年近く通った祖母からついに「こがん坂道毎日荷物担いで登ってもう来られんよ!」と言われた母がそれはマズイと急遽引越しを決めたのでした。

私は転校と聞いて、「え?違う学校に行くの?っていうか学校って他にもあるの?へ〜知らなかったぁ。」という感じでした。

近所に仲の良いお友達もいたし学校も近いし、今の学校も好きでしたが、通学の距離が近すぎて一緒に帰るお友達ともあっという間にお別れをしないといけない感じには少し物足りなさを感じていたものあったのか「違う学校ってどんな感じなのかな?ちょっと楽しみかも。」とお友達とのお別れよりも次の学校への変化を密かに楽しみにしていました。

だからと言って積極的に友達を作るようなタイプではないので、次の学校でも特に何のアクションも起こさないのですが。。笑

こういうところは子供の頃も今でも変わっておらず、自分では何もせず、誰かが巻き起こす面白いことや想像を超えるような出来事が起こることを楽しみに待っています。

「誰か私をびっくりさせて欲しい。そして、楽しませて。」といつも願っています。

 

お友達とのお別れ

 

さて話は元に戻ります、当時は「転校してお友達とのお別れと言っても死ぬわけじゃないから一生会えないわけでもないし、本気で会いたかったらお母さんに連絡してもらえばいいかなぁ」と思っていました。

結局、転校後に前の学校のお友達に連絡してもらうということは頭の片隅にも浮かばず小学校を卒業することになります。

ただ、なぜか同じクラス(たぶん)だった女の子からお手紙とマグカップのプレゼントが届き驚いたことがありました。

母から「お友達から何か届いたよ。仲良かったお友達?」と聞かれ、実際あまり記憶になった私は「多分同じクラスだった子なのかな?あんまり覚えとらんかも。」と正直に話すと、「酷さっ。せっかくお手紙とプレゼントくれとらすっちゃけん。返事書いたら?お母さん何か買って送ってやるけん。」という言葉に一応お返事を書きました。

するとまた向こうから返事が届き、何度か手紙のやりとりとマグカップが2〜3個届いたところで、私は「もういいやろ。終わらん。」と返事をすることをやめると母に宣言しました。

理由は、「あまり覚えていないお友達にこのまま心のこもっていないやり取りを重ねるのは何か欺いているような気がして、相手にも自分にも嘘をついているような感じで良くないと思った」のと「単に面倒になったこと」「マグカップはもういらない」と思ったからです。

私は時々、人から「冷たい」と言われることがあり、その度に「私ほど優しい人間はいないのに」と思っていましたが、この時のことを思い返すと本当に冷たい人間だなと思います。笑

 

当時の住まいについて

 

さて、この時暮らしていた家は築古の2Kのアパートで前の家よりも古くて狭かったのですが国道のバス停まで徒歩3分程の距離で祖母の通い的にはかなり楽になり、私たちは通学の距離が15分ほど長くなりましたがお友達と帰りに寄り道しながら帰る帰路はとても楽しかったのを覚えています。

目的に合わせて住まいを選ぶ、母の家選びのセンスは悪くないなと今振り返っても思います。

この時初めて猫を飼い始めました。マヤというシャム猫の雑種でとても可愛かったのを覚えています。

ちなみに、前のアパートでもペットとして鶏を飼っていました。

名前はカトリーヌという烏骨鶏のメスでおじいちゃんが卵を食べるためにくれたそうですが私は毎日キャベツを上げて可愛がっていました。

アパートの玄関の外に私の身長ほどの手作りのゲージの中で悠々とした佇まいはカトリーヌの名前に相応しい高貴な雰囲気をまとっていました。

今思うとアパートの玄関前に烏骨鶏って迷惑な感じですよね。笑

ある日突然いなくなり、大人になって母に聞いたら「おじいちゃんが食べちゃったのかもね。へへっ笑」ともじもじしながら言っていました。

 

家が変わることと暮らし

 

そんなこんなで、お引越しを重ねながら住む場所や環境が変化しつつも私たちの暮らしが大きく変わることはありませんでした。

それはどれもアパートで住空間に大差がなかったことと場所に関しては慣れの影響が大きいということかもしれません。

実際にいろんな佐世保市内のいろんな場所で暮らしてみましたが、場所によって通学・通勤の距離や買い物の便利さなどは変わりますがそれも慣れてしまえばそれが当たり前になり、住めば都とはよく言ったものかもしれません。

 

次回

 

さて、ここまで小学校までの住まいや暮らしについて書いてきましたが思いのほか長くなってきたので一旦ここで終わり「来週に続く」にしようと思います。

次回は、その後の暮らしの変化や今の家にたどり着くきっかけなどを書いていきたいと思います。

よかったら次回もお楽しみにお待ちください。

それでは。

つづく

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