Contents

結婚のため東京から佐世保への移住。「考えるんじゃない感じるんだ」気づいたら佐世保に住んでました。

みなさん、こんにちは。

As designの代表 亀野です。

みなさんは引越しや転職って何回くらい経験ありますか?

私は母が引越し好きだったため子供の頃から佐世保市内を転々として今のお家に住むまでに7回ほどお引越しをしてきました。そのため小学校も転校をした経験があるのですが私は細かいことを特に気にする性格ではなかったため「新しい学校ってどんなところだろう♪」と変化を楽しむ子供時代でした。

仕事についても基本的に「働きたくない」という信念が強かったため3年に一回くらいのペースで仕事を辞めて半年くらいゆっくり休む、お金がなくなったら働くを繰り返して生きてきました。

そんな私も建築業界に就いて早10年が経ちます。天職ってこういうものなのかもしれませんね。というか飽きる暇がないほどに変化あり問題ありで解決するのに必死でそれが楽しいのかもしれませんね。

これからもAs designが長く愛される企業に成長できるように日々業務に取り組んでいきたいです。

 

さて、この度4月に新しく入社したスタッフの亀野博純さん(実は私の夫です)は横浜で生まれ、中高を広島の一貫教育の男子校、大学〜院まで佐賀で過ごし。就職は東京の準大手ゼネコンで働いてきました。そんな亀ちゃんに改めて佐世保に移り住むことにした経緯や暮らしてみて思うこと、働き方や暮らし方について聞いてみました。

石橋を叩いて叩いて叩き壊すほどに慎重な性格だったはずが。。気づいたら仕事をやめて佐世保に住んでましたね(笑)

ますは自己紹介

はじめまして。亀野博純です。

出身は横浜で小学校を卒業するまで過ごしました。中学受験のため4年生から日能研という塾に通っていて6年生の夏休みは朝8時から夜8時までずっと塾で授業を受けるような暮らしでした。。小学生ながらに2月頃には受験のプレッシャーが重くのしかかってきましたが無事合格できて「あぁこれでやっと解放される」と一気に心が緩んでしまいました。中高はボーッと過ごし楽しい思い出が多いですね。成績はどんどん落ちていきましたけど。笑

また、部活は「ワンダーフォーゲル部」に在籍して、1人平均12kgの荷物を背負い山を登るという競技に取り組んでました。大会では計画書作成から始まり、気象図を見ながら天候を予測したり、当日の装備品や登山ルートの確認を行い実際に何日かに分けて山に登ります。体力はもちろん頭もすごく使う競技で辛くも楽しかった思い出です。今でもその時の習性で散歩は家の裏の山を登っています。

広島県高校登山競技大会計画書より行程断面図

 

大学は国立で福岡に近いという理由で佐賀大学に進みました。ここで妻と出会います。

親から何か部活に入らないと仕送りしないと言われアイスホッケー部に入ります。大学3・4年ではインカレ出場まであと一歩というところで涙を飲みました。

大学院に進学後は教授からの圧で引きこもりになりかけますが(笑)なんとか卒業し三井住友建設に入社。

入社後はマンションの意匠設計に携わってきました。ゼネコンの設計部では一級建築士の取得は必須だったため、毎年挑戦するも激務で勉強の時間がなかなか確保できず10年が経っていました。このままでは一生合格しないかも。。後輩社員がどんどん合格していく中、周りからのプレッシャーと焦りから一旦実務から離れ一級建築士資格取得を本格的に目指して勉強時間を確保しました。建築士の資格を取るために設計業務から離れるって不思議な感じなんですが、笑。そうでもしないととても勉強する時間が確保できなかったんですよね。それくらい激務でした。資格取得できない重圧と拘束時間の長い勤務時間で一時期本当にちょっと精神を病みましたよ。今思うと本当に辛い時期でした。笑

その甲斐あって2015年念願の一級建築士に無事合格

勉強時間を確保し、2014年学科に合格するも製図で落ちてしまいました。。製図試験は学科合格してから3年の猶予があるため翌年は製図の課題に取り組みました。占い師さんからも「今年は合格する」と言ってもらえたことから「合格するなら本気で勉強しよう!!」と覚悟を決め真剣に取り組みました。その結果、学科・製図ともに合格することができました。本当に嬉しかったです。それからは、プレッシャーから解放されて仕事もBIM推進のリーダーを任されなんか心に余裕もできて楽しくなってきた感じでしたね。

東京での暮らし

僕が東京で生活していく上で一番大切にしていたことは「固定費をいかに抑えるか」です。母親や弟のお嫁さんからも「お兄さんは大手に勤めてて一人でお金にも全然困ってないのになんでこんな家に住んでるんですか??」って言われてるくらいの見た目の家に住んでました。僕としては、住居費って生活費の中でも一番大きなウエイトを占めるじゃないですか。しかも、賃貸なのでいくら払ったところで自分のものにはならないし。その大きな固定費を抑えることができたら、他の細かな変動費を節約しなくても、それだけで自然と貯金ができるんですよね。「しっかり貯金を増やしていきたい」そう考えていました。それに、住んでいた場所は通勤にも生活にも便利だったし、外見は昭和な感じででしたけど、室内はリノベーションしてあって気に入ってたんですけどね。けど、妻がはじめて東京の自分の家に遊びにいてくれた時にこの家を見て「大家さんのセンスがめちゃくちゃいいね!!」ってはじめてでした。そんな感想。笑

築40年木造アパート 折原荘

 

妻曰く「たしかに見た目は、ザ昭和な感じだけど、外部の屋根はトタンだけど新しく替えてあるし、外階段とか手すりとか塗装がまめにされてて安全面しっかりされてるし、室内はきれいにリノベーションしてあるし、間取りもお隣同士の生活音とかにも配慮して考えてある感じがすごくするし、全体的な予算の掛け方が安全性と住む人の快適性を満たす感じでお金をかけるポイントのセンスがめっちゃいいね!」って、そんな物件を選んで住んでる僕にめちゃくちゃ好感持ってくれてる感じでした。なんか感性が似てて嬉しかったです。

※コロナ前です。花粉症のため毎年2月から4月までマスク生活でした。

2019年寿退社後佐世保へと移住

佐世保に移り住むことにしたきっかけ

東京にいると周りにいろんなものがあって毎日楽しいし1人で自由に暮らしていたんですが、年齢的にも40代に差し掛かってきて、当時付き合っていた人ともお別れをしたりしてと、このままずっと1人で生きていくことに疑問を感じてきました。そろそろ結婚も意識して行かないとって。それで、婚活をやり始めました。職場の人の紹介とかもたくさんあったんですが、なんかピンとくる出会いがなくて、アプリを利用した婚活もはじめました。昔の出会い系とは全然違って自分も相手も結婚に向けて本気なので「楽しい出会い」というより就職活動に近い感じでしたね。笑

2019年1月 年賀状の整理からの再会

そして、1年くらいが経ってなかなかいい出会いもなく、これからどうしようかなーと考えていたときに何かで「年賀を長く持っていると運気が停滞する」っていうのを耳にしたんです。実は僕、子供の頃からの年賀状をずーっと持ってて、処分する前に確認しようと全てに目を通していたんです。そしたら、大学生の頃にもらった今の妻からの年賀状が出てきて懐かしいなって、もらってた年賀状が写真付きっていうのもあって「やっぱかわいいなぁー今どうしてるのかなー」ってfacebookで検索したら苗字も変わってないし、あきこちゃんも結婚してないのかなって連絡してみたんです。今思うと20年近く全く交流のなかった人に、こんなに気軽に連絡できたのはそれまでの1年で婚活アプリでのアポ取の経験のおかげだと思います。笑

おじゃる丸しか好きにならない人だと思ってました。笑

再会・退職・結婚・移住

それからは早かったですね。

1月 年賀状発見・Facebookで連絡をとる

2月 電話でプロポーズそして再会

4月 両親あいさつ・退職届提出

5月 両親あいさつ(この時ほぼ初めて佐世保に行く)

6月 東京でお披露目会

7月 佐世保へ

8月 入籍

現在に至る

2019

電話でプロポーズって??

連絡を取るようになってから再開するまで1ヶ月くらいあったんですけど、最初はメッセージのやり取りから電話で話をするようになって、実際に会う予定日の1週間くらい前だったと思うんですけど、なんか「会う前に自分の気持ちとか覚悟とかを伝えておきたい!」って気持ちに凄くなってしまって。笑

「電話でこんなこと言うの自分でもどうかと思うんだけど、、あきこちゃんのことが好きだから、会社を辞めて僕がそっちに行こうと思ってるから結婚して一緒になってほしい。」って話をしたら「えーー!!?まだ会ってないよ!?」って言われました。笑 それで「そうだけど、facebookで写真いっぱい見たし。あきこちゃんあんまり変わってなさそうだし。まぁ、僕はそのつもりで行きますから!僕はあきこちゃんについていこうって決めてるから!・・・って重い??笑」って伝えたら「私、亀ちゃんの顔うろ覚えやけど。。facebookの写真もブレブレやし。。けど、私も顔わかんないけどもう好きになってるから、わかりました。ありがとう。笑」って言ってもらえました。ww

 

やっぱちょっと狂ってますよね。笑

当時からいいなって思ってたのもあると思います。再会することになって色々話していたら昔を思い出して、2人で長崎にドライブデート行ってたんですね。2人ともすっかり忘れてましたが。笑 写真が出てきてそれ見ると2人ともほんとかわいいなって思いました。

おつきあいに至らなかった理由は、

・佐世保と佐賀で遠距離だったから

・あきこちゃんが人を好きになる感覚がまだなかったから

・告白しても「暖簾に腕押し」という感じで付き合えても長続きしないと思ったから

今思うとふわっとしてますよね。佐世保と佐賀とかめちゃくちゃ近いし。笑

長崎デート(でも付き合わず)

 

本来は僕、石橋を叩いて叩いて叩き壊して結局渡らないって感じのかなり慎重な性格なんです。Amazonで買い物する時ですらすぐには買わずお気に入りリストに入れて何日も寝かして吟味に吟味を重ねて買ったりするくらい。それが、今回の件に関しては本当に「考えるな感じろ」って感じで気づいたら仕事を辞めて佐世保に住んでました。笑

佐世保での暮らし

毎日の暮らし

僕はこれまで転職一回もしたことなかったんですよね。院を卒業してからずっと働いてきたので今回もすぐに働くことを考えていました。ところが妻から「せっかく仕事やめたんだから失業手当もらって半年くらい遊んで暮らしたらー?こんなチャンスなかなかないよ!」って、正直びっくりしました。「結婚したばっかりの夫が無職で大丈夫なの???」って、ちょっと戸惑いましたが結局お言葉に甘えて半年ほど休むことにしました。

妻が休みの日は一緒にドライブに出かけたりして大学時代に住んでた佐賀や長崎など車で行くことが新鮮でしたね。東京では電車移動が基本なので、車で出かけるのは気持ちよかったです。また、妻が仕事に出かけてる時間は土地勘もないため毎日家で荷物の整理をやったりのんびりしてたんですが、これまで忙しい生活が基本だったのでだんだんと暇になってきて、佐世保という土地にも少しづつ慣れてきていたので1人でバスに乗ってアーケードのカフェに行って勉強したり散歩したりのんびり過ごすことができました。

誰かと一緒に暮らすという安心感と時間のゆとりができたことで心も体もゆっくりと満たされていった感じですね。毎日の普通の暮らしがこんなに楽しいんだって驚きました。

家での仕事はお茶碗洗いと洗濯です。

働き方

最初はお互いの仕事が近いっていうのもあって、僕の資格も活きてくるし最初からAs designで一緒に働こうかとも考えていたんです。ただ、まだ立ち上げ間もない状態で経営も不安定だし、僕もどれくらい貢献できるかわからなかったというのもあって、2人で話し合って家計も事業も一本化にするにはリスクが大きすぎるとの結論に達し、一旦他の企業で就職するとこにしました。そして、働き始めたのが住友不動産でした。戸建てリフォームのSE(セールスエンジニア)として契約から引き渡しまで全ての業務を1人でこなすというかなりハードな業務でした。それまで営業経験とか全くなかったので初めは契約が取れるか不安でいっぱいでしたがお客様と話していくうちに自然といい提案をしてあげたいなと思うようになり、いつの間にか契約もとることができ、その後の工事の管理から業者さんとの打ち合わせなどもこなすことができていました。やってみると、全ての業務を1人で行うので責任も重たくて大変な反面やりがいもとても大きかったです。引き渡しの時のお客様の喜んでいる様子とかをみてると本当に嬉しくなりましたね。頑張ってよかったなって。

2022年4月As designへ合流

これからAs designで挑戦していきたいとこ

でいよいよAs designに合流という感じです。これから僕のスキルや経験を活かしてこれまで以上にお客様に満足してもらえる家づくりに貢献していけたらなって考えています。ゼネコン勤務からリフォーム業への転職の時も思いましたが同じ建設業でもゼネコンとリフォーム業そしてリフォーム業と新築事業ともに全然仕事のやり方も内容も違うため、まずは勉強だと思っています。

 

いい家をつくっていきたい

素直にそう思っています。

実は僕こどもの頃から重度の花粉症でそれが、結婚して妻が独身の時に建てたこの高気密高断熱の家に住みはじめて花粉症の症状がなくなったんです。最初は佐世保は今年花粉が少ないのかなー不思議だねって2人で話していたんですが3年経った今も全く花粉症の薬を飲まずに済んでいて、それで調べたら高気密高断熱の家に住む前と住んだ後での持病の発症率を統計してる人たちがいるみたいでそのデータを見ると、アレルギーだけじゃなくて高血圧や糖尿病・肺疾患や関節炎など住環境とは関係なさそうな病気でも一律有病率が改善されているんですよね。それみてやっぱり住環境って本当に人の命に大きく影響してくるなってめちゃくちゃ実感しているんです。それもあって、住む人が快適で幸せに暮らせる家をたくさんつくって提供していきたいって思ってます。

そして、ちゃんと働いてお金も稼いでしっかり貯金も続けていきたいので!

最後に

一生懸命全力出して仕事に取り組んでいきます。

これからもAs designをよろしくお願いいたします!

関連記事

みんな違ってみんないい。誰かが誰かの助けになる支え合いの精神と心豊かな暮らしのカタチ。

2021.02.04

月刊ハナラボ掲載 FLOWER STORY 「巣作りのお手伝い」As design代表取締役 亀野明子

2020.05.17

pagetop