毎日を自由にのびのび生きていく【第7回】人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol6
長崎県佐世保市を中心に新築注文住宅や戸建てリノベーションの建築会社As designを経営している私が日々思うことを率直に書いていく日記のような綴りです。
みなさんこんにちは、As designの代表 亀野明子です。
7月に入ってもう2週目が経ちました。
1日1日があっという間に過ぎて今年も残りあと半分になりましたが皆さん今年の前半はどんな年でしたか。
私は改めて今年の上半期を振り返りどんな上半期だった考えてみましたが、あっという間に過ぎた割に何故だか遠い昔のようであまり覚えていません。笑
「それだけ日々を必死に生きているってことなのかな?」と前向きに考えています。
ただ今年の残り半分を有益に過ごすために最近取り組み始めたことについて少し触れておこうと思います。
私は継続が何よりも苦手です。ただ人生をより良いものにしていくためには継続が何よりも大切だなとも思っています。
その継続が苦手な私がゆるく長く続けていくために心がけていること。
1.継続すること自体に楽しみを見つける
2.継続の中にも変化をつける
3.人に宣言する
ポイントは私という人間が「どういう出来事にどう感じるか」を分析して私が楽しんで続けたくなる政策を練ることです。
詳しくはまた別の機会に書けたら書きたいなと思っています。
さて、今回も前回に続いて人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.6の始まりです。
第1回をまだ読んでいない方はこちらから読んでみてください。↓
母の再婚と4回目の引越し
前回の最後でも少し触れたように、今回のお引越しには家族の増員が追加されました。
これまで母と私たち3兄弟の女子供たちで楽しく暮らしてきた生活が私たちも成長し大人になって新たなメンバーも加わって大きく変化しました。
みんなの仕事の通勤や住む人数により場所や大きさなどいろいろ考慮したであろう母は佐世保市の中心部にある泉町の一軒家を借りることになりました。
部屋割りは、私と弟はそれぞれ1人部屋を与えられ、妹と妹の彼氏も部屋があり、母と母の主人はリビングを中心に生活をするという感じでした。
この家もまた、ベースの近くということもあり和風の家ながら水回りは外国人向けの間取りになっていました。
ここの家の間取りは今まで暮らした中で一番記憶にありません。笑
さっき、間取り図を書いてみて気づきました。
暮らした年月はおそらく23〜27才くらいだと思うので4年ほど暮らしていて、小学校の1〜3年まで暮らした家の間取りよりも覚えていなかったので少し驚きました。
なぜだか理由はわかりません。
私の部屋は6畳か8畳の和室に縁側がついている立派な部屋でした。
当初、この縁側にベッドを置いて部屋を広く使っていたのですがこの配置で眠ると結構な頻度で金縛りに遭っていたのを覚えています。
金縛りにあったのはこの家のこのベッドの配置の時だけでこれ以前もこれ以降もあったことはありませんでした。
私は霊感とかは0なので霊的なことが原因なのか、空気の流れ的なことが原因なのかはわかりませんが、とにかくこの場所で眠ってはダメなんだなと思いベッドを畳の部屋の中に置いたところ金縛りに合うことはなくなりました。
とても不思議です。
共同生活
他人率が多くなった家族構成での共同生活は意外と楽しく過ごしていました。
母の再婚相手は母の14歳年下だったということもあり私とは10歳しか違わず、見た目も色白で「お父さんができたというよりは兄弟が増えた」という感じでした。
妹の彼氏についても、優しい感じで歳は私と同じということもあって、みんなで仲良くシェアハウスのようなノリの暮らしを送ることができていました。
家族の誰かが誕生日の時はお誕生会をやったり、デジカメで撮った母の変顔の写真を家のプリンターでプリントアウトして別の写真とコラージュさせて笑ったり、合宿のような生活でした。
ある日、妹が犬が飼いたいとペットショップに彼氏と出かけ犬を買ってきたことがありました。
それまで私たち家族は猫派で、それも妹が拾ってきた猫を飼っていたのですが、突然我が家に真っ黒なフレンチブルドッグのべべちゃんがやってきました。
べべちゃんは血統証付きの毛並みの美しい犬でしたが、とっても落ち着きがなくゲージの中でも全力で走って回転していたせいか、フレンチブルドッグにしては破格の値段で売りに出ていたそうです。
家に連れ帰ったあと妹が世話をしていたのですが、猫と違って散歩やトイレのしつけなどお世話がかなり大変なのと赤ちゃんとはいえフレンチブルドッグの力強さに、2〜3日で妹は根を上げて「あいちゃんやっぱり猫が好き。」という言葉を残して去ってしまいました。笑
それから、べべちゃんは母の子供として成長しながら幸せに暮らしていきます。
母は子供の頃から動物の世話をするのが好きで、親に隠れて庭でこっそり犬を飼っていたこともあります。
私たちが生まれてからは犬を飼うのは難しくなったため、世話の少ない猫を飼っていたのですが、本当は犬が好きということもあり、文句を言いながらも大切に可愛がっていました。
寝る時も一緒、テレビを見る時も一緒、お出かけする時も常に一緒に行動をしていました。
短い毛が結構抜け落ちるのでいつもお洋服を着ているべべちゃんは、ふがふが言いながらお散歩したり、お母さんと遊んだりとても可愛い犬でした。
ただ、上手にお散歩ができないのでスタートダッシュでバテてしまって帰りは抱っこして帰るということもしばしばでした。
ホテルのレストランのスタッフとして働く
この時は佐世保市のアーケード裏にあるホテルのレストランのスタッフとして働いていました。
家から歩いて行ける距離だったため徒歩で通っていました。
ホテルの中にあるレストランなので宿泊者向けの朝食ビュッフェからディナービュッフェまでありシフト制の勤務体制でした。
私は朝起きるのが苦手なのでなるべく午後からのシフトがよかったのですがある程度交代制でシフトが組まれていたので朝早く起きて朝食の時間帯でも働いていました。
朝・昼・夕と食事の内容も客層も違うため時間によって働き方が変わることと、
朝と夜は賄いがついていたもの気に入っていたポイントで3年ほど働くことになります。
朝食のビュッフェは宿泊の団体客が多い時は本当に忙しくて2時間があっという間に過ぎていき、ランチの時間帯は佐世保の奥さま系のグループや家族連れの客層で賑やかな感じでした。
ディナーの時間帯は、カップルや1人で泊まっている宿泊客が食べにきたりと割とゆったりとした感じで、私はディナーの時間が一番好きな時間でした。
ホールのスタッフは全員で10名ほどがいてそのうち2〜3名が交代で出勤するという感じでした。
割と主婦の人も働いていてその人たちは早朝から午後くらいまでの希望が多かったのと、私が夜型ということもあって、私は夜が多めでした。
夜のシフトはフリーターや大学生がメインで、この時一緒に働くことが多かったのも中国人の大学生の女の子でした。
名前はジョジョといって、日本語を流暢に扱って中国人なのに(?)いい加減な感じで、この適当な感じが私は大好きでした。
ジョジョは、身長が170cm近くの体重が90kgくらいの割と巨漢の明るい女の子で40才くらいの彼氏がおり、(その後、若い米軍に乗り換えます)割とモテな人でした。
このジョジョとは、夜のシフトでこっそりつまみ食いをしたり、レストランのフロントの人の悪口を言ったりと楽しく働くことができました。
ここで働いていると宿泊客の中には有名な人もたまにいて、ある時は笑点のメンバーがみんなで朝食を食べにきました。
みんな仲が良さそうな感じで和やかな雰囲気で良い感じでした。
次回に続く
あとちょっとで12時になってしまうので今日はここまでにします。
また、来週をお楽しみに。
つづく
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