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毎日を自由にのびのび生きていく【第3回】人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.3

毎日を自由にのびのび生きていく【第3回】

 

長崎県佐世保市を中心に新築注文住宅や戸建てリノベーションの建築会社As designを経営している私が日々思うことを率直に書いていく日記のような綴り第3回目です。

みなさんこんにちは、As designの代表 亀野明子です。

ついに3回目を迎えることができました。

これも一重に読んで面白かったと感想をくださる皆様のおかげです。

本当に本当にありがとうございます。

おかげで私自身書くことが楽しくなってきています。

書いていきながら子供の頃のことを振り返ると、本当にこれまでも私は優しい人たちに囲まれて生きて来れていたんだなと改めて「私って本当に幸せだな」と実感しています。

これまで出会った人たちみんなに「ありがとう」と伝えたいです。

なので手始めに近くにいた夫に「かわいいね。ありがとう。」と伝えました。

すると「ありがとう。あきちゃんもかわいいよ。」と言ってくれました。

みなさんもぜひ近くの人に「ありがとう」と言ってみてください。

幸せな気持ちになると思います。

生きていくって本当に奇跡だし幸せなことですね。

幸せな気持ちに浸りつつこの記事を書いていくことにします。

人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.3の始まりです。

 

第1回をまだ読んでいない方はこちらから読んでみてください。↓

毎日を自由にのびのび生きていく【第1回】人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.1

 

 

人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.3

 

実は、家族みんなでの4回目の引越しの前に私は進学にともない家を出た経験があります。

私は、子供の頃から将来の夢やなりたいものが全くなく、「今が一番良いし、毎日十分幸せ」だと思って生きていました。それは今でも同じです。

そのため、小学生の頃から定期的にやってくる将来何になりたかということを話す機会が苦痛でたまりませんでした。

小学生の頃はまだ進学や進路についてもふんわりとしていて「将来の夢って言われても何もないなーこのまま一生子供のままで生きていきたい」と思っていたくらいでしたが、中学生になってくると高校受験を控えるため、より進路について具体性が出てきて、その都度「やったこともないのにやりたいことなんて聞かれても、選べるわけないのに。もう聞くのやめてほしい。」と心の中でちょっと怒ってすらいました。笑

ただ、そういう私の希望とは裏腹に現実の時は経っていき進路についての選択を迫られます。

受験する高校を決める時、勉強が好きとは思ったことがなかったため大学進学は思い浮かばなかった私は、進学校はナイかなとなんとなく思っていました。

進路相談の時間に先生から「古田さんの成績だったら東商だったら絶対受かると思うけど、商業はちょっと勉強が必要かも、だから特に希望がなければ東商がいいんじゃないか」と言われ「そっかぁ、まぁじゃあそれで。」と提案のあった通りの選択をしようとします。

家に帰って一応、母に先生にこう言われたから東商受けるよと伝えると珍しく母に反対されました。

「えーー!!お母さん、絶対商業が良いーー。商業にしてー。」

「え?なんで?東商も商業も一緒じゃない?」

「違ーう。商業が良いさ!!」

「けど、あきちゃんの成績やったら勉強せんと落ちるかもって言われたよ。」

「いい!それでもいい!落ちたら、聖和に行けば良いやん!制服可愛かし。」

「まあ。聖和、制服かわいいか。じゃあいいよ。商業で、けど落ちても知らんけんね。」

という訳で実業出身の母とのやり取りで「いったい誰が通う高校の話してるのか?」っといった感じで進路を決定しました。

こんな感じで目的を決めることは苦手な私ですが、一度目的が決まると達成するとこは苦手じゃない私は無事、商業に合格します。

この頃から「あれ?私ってやったらできるのかも。なるほどね。」と思いはじめます。

 

 

進学に伴う転居

 

高校生になった後も進路の話は終わりません。次は就職か進学かの二択を迫られることになります。

この時すでに明確に強い意志を持って「まだ働きたくない。」と思っていた私は他の選択肢、進学を考えはじめます。

高校受験の進路決定の時は、大学に行きたいと思っていなかったため、進学のための勉強を基本的にしない商業に来てしまったので、選べる選択肢は数少なくその中で私の条件に合う学校を探しました。

 

【その時の私の短略的な条件】

  1. 試験も論文もなく面接だけでいける学校
  2. あんまり遠くに行くのは面倒なので近場のそこそこ街にある学校
  3. 面白そうな(あんまり聞いたことがない)学科があるところ

そこで出てきたのが佐賀にある佐賀女子短期大学の生活学科養護コースでした。

 

この学校では保健室の先生と中学校家庭科の教員員免許が取れるコースがあり、九州では2校しかなく、もう一校は宮崎でそれは遠いなと思い佐賀に行くことにしました。

もちろん保健室の先生になりたいなんて一ミリも考えていませんでしたが、聞いたことのない内容に興味をそそられました。

役に立つとか立たないとか関係なく、「知らないことを知ること」それが何よりも大好きです。

佐賀に行く事にした理由がもう一つあって、それは街の規模感です。

高校生の私は佐賀に行ったことがなく、佐賀の街を知らなかったため勝手に思い込んでいたのです。

「佐世保は長崎県の2番都市でこれくらいの感じだから、佐賀市は佐賀県の県庁所在地だから佐世保よりは断然都会に決まってるし、まあ佐世保と福岡の中間くらいかなー。」っと。。。

受験当日、初めて佐賀駅に降り立った時に現実を知ります。

「騙された。」そう思ってしまいました。笑

私が短大に通っていた時は今のように大きなショッピングモールは何一つなく駅からまっすぐ行った通りに小さなアーケイドがあるのみで、町の人々は老若男女みんなが自転車に乗って移動しているため、バスの本数もかなり少なかったのを覚えています。

いやいや。そもそも誰も騙してないし、私が勝手に思い込んでいただけなので佐賀は何も悪くない。笑

実際に暮らしてみると、長崎とは真逆でどこまでも平坦な街並みは自転車一つで移動ができてとてつもなく住みやすい町でした。

そして、この時のこの私の選択がこのあと約20年後の私の人生を大きる変えるターニングポイントになります。

 

初めての寮生活

 

高校を卒業して佐賀の短大に通うことになり、さすがに自宅から通うには遠いということで佐賀に住むことになりました。

母や祖母にとっても初めての子供(孫)の巣立ちの時を迎え、やっぱり1人暮らしは女の子だし心配だからと寮に入る事になります。

入学式には母と一緒に佐世保の自宅から向かいました。式が終わった後は母と一緒に寮に入り荷物を整理を手伝ってもらい、一通り片付けが終わると母は佐世保へと帰っていきました。

寮の部屋は2人一部屋でしたが、まだこの時は私のルームメイトは来ておらず1人になったこの部屋で「今日から家族と離れて1人で暮らすのか。なんか不思議だな。」と寂しいでも楽しみでもない、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。

大人になった後に、この時のことを母から聞く機会があったのですが、この時母は寮に1人置いて行く私のことを見ながら「あー。こんなとこにこの子を置いて行かんばとー(>_<)うー。」って気持ちになったさーと話していました。

私って愛されたんだなと改めて思いました。母の愛って大きいですね。

ちなみに、高校の入学試験の日にはなぜか母も休みをとって家で1人、私が試験を受けているであろう時間帯に神様に祈りを捧げていたそうです。「どうか神様。あきちゃんが試験に受かりますようにー」と。笑

ただ、妹と弟の時には母にとって子供の入試は2回目以降なのですっかり慣れ、祈りは捧げていないそうですが、2人とも無事入試をクリアし高校進学となりました。

 

 

集団生活の向き不向き

 

寮で暮らしてみるといろんなことに気づくことになります。

【寮に暮らして思ったこと】

  1. 常に誰かといる状態は結構しんどい
  2. お風呂に入る時間が決まっているのに守れない
  3. 大勢人がいるのに逆に寂しい
  4. 1人になりたい

結果、知ったことは私って集団行動が本当に苦手なんだなということでした。

寮生活なので当然にルールや門限の制限がありました。

ただ、特に厳しいという訳ではありませんでしたが私にとって一番辛かったのがいつも誰かの気配を感じる場所に居心地の悪さを感じてしまうということでした。

お風呂に入る時間が決まっていたので常に銭湯状態でゆっくりできず、途中から夜中にこっそりボイラー室に行って火をつけて1人で広すぎる浴場でシャワーを浴びたりしていました。

結局、毎週金曜日にバイトが終わるとそのまま電車で佐世保に帰り、月曜の朝に佐世保から登校するというスタイルを1年間続けます。笑

寮生活を2年間続けるのはかなりしんどいと母と祖母に相談して一人暮らしの許可をいただきました。

一人暮らしを始めてからは生活が一変しました。

自由

これを求めていたんだと心の底から喜びと安心感がやってきました。

「一人暮らしを始めた途端帰って来んくなった。」と母が言っていました。笑

 

人生を変える出会い(けどスルー)

 

一人暮らしの部屋の隣に佐賀大学に通う友達が住んでいました。

この友達の友達ともよく遊んでいてみんなでお互いの家を行ったり来たりして楽しく過ごしていました。

実はこの友達の中の1人と約20年後に再会して結婚することになるのですが、

当時はまだ人を好きになるという感覚がピンときておらず運命の出会いを一旦スルーします。笑

今思うと夫も私もお互いぼんやりした子供でしたねー。

2000/06/25 20才くらいの私と夫_長崎デート(でも付き合わず)

 

卒業そしてニート生活へ

 

2年はあっという間に過ぎ去り、またもや卒業後の進路決定の岐路に立たされます。

この時の私もやっぱり明確に強い意志を持って「まだ働きたくない。」と思っていたため「就活はしない」と決めます。

周りの友達から「あきちゃんは就職どうするの?」と聞かれると「しないよー」と答えて驚かせてしまっていました。

昔から私の周りには優しい人たちが多く、そんなイカれたことを堂々と言う私に対しても否定せず

「あっ、そうなんだ^^;まぁもし掲示板見ていいなと思うところがあったら受けてみるのもいいかもね。」とやんわり促してくれました。

が、私が就活をすることはやはり無く卒業後また佐世保へと帰っていきます。

 

次回

 

さて、ここまで学生時代を振り返ってきましたが我ながら酷いもんですね。笑

この後、働くという経験を通してめちゃくちゃ成長していく私が出てきます。

次回も、その後の暮らしの変化や今の家にたどり着くきっかけなどを書いていきたいと思います。

よかったら次回もお楽しみにお待ちください。

それでは。

つづく

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