毎日を自由にのびのび生きていく【第2回】人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.2
毎日を自由にのびのび生きていく【第2回】
長崎県佐世保市を中心に新築注文住宅や戸建てリノベーションの建築会社As designを経営している私が日々思うことを率直に書いていく日記のような綴りです。
みなさんこんにちは、As designの代表 亀野明子です。
前回の投稿から1週間が経ち第2回の更新を無事に迎えることができました。
第1回の文章を読んで多くの人にお褒めのお言葉をたくさんいただき、私の心はとてつもなく満たされております。
私の文章を面白いと言って読んでくださり、本当にありがとうございます。
マイペースにのんびりと私なりの正義のモノサシ基準で生きている私は、人と違うことで怒られたり変な目で見られることも少なくなくあり、「何なんだ一体。もう私のことを見るのやめてよ。」と思うことも多くありました。
それが今回の皆さんの心優しい反応に「素のままの私を認めてもらえた」ような温かな気持ちになりました。ありがとう♡
心優しいみなさまの言葉に気を良くしてやる気が出ている勢いでこの記事を書いていくことにします。
人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.2の始まりです。
第1回をまだ読んでいない方はこちらから読んでみてください。↓
人生の気づきをくれた、豊かな住まい。vol.2
小学校3年生の頃に引越して暮らしていた家には6年生まで暮らすことになります。
このアパートは福石観音の鳥居をくぐった参道沿いという少し変わった場所に建っていましたが国道からすぐの距離の割にとても静かで暮らしやすい場所でした。
毎年、福石観音のお祭りの時期にはアパートの階段を降りると通りの参道には縁日の屋台がびっしりと出ていて子供心にとてもテンションが上がりました。
いつも暮らしている家の前の道が一夜にしてお祭りの会場に変わる様子は大人が見ても不思議な感じがする特別な感じで私はとても好きでした。
基本的に個室という個室が全くなかったので私たちの成長に合わせて個室が必要だろうと母は考え、また引越しをします。
徒歩圏内で3回目の引越し
3回目の引越しは、同じ福石観音の参道沿いにある戸建て3LDKの米軍ハウスでした。
おそらく母もこの場所はめちゃくちゃ気に入っていたんだと思います。
自分の通勤にも良いし、祖母も通いやすいし、場所は移動したくないけど私たちの成長に伴って物理的に家の大きさに不都合が出てきたため次の引越し先を探していたところ、徒歩10秒ほどの距離のこの家を見つけたのでした。
佐世保には戦後にアメリカ軍の人向けの戸建てのお家が多く建てられており、この3回目にお引越しをしたこの家もそうでした。(この次に引越すことになる家も米軍ハウスでした。)
外観は普通の日本の家なのですが間取りに特徴があります。
【米軍ハウスの特徴】
- 玄関という玄関がない(玄関ドアを開けるといきなりリビング)
- バスルームが広くトイレと洗面が一体
- 主に平屋
- 廊下がほとんどない
大体どこも共通していることが多いです。
これまでアパートにしか住んだことがありませんでしたが、毎週末に泊りに行っていた祖母の家は普通の日本のお家で、それとはちょっと違った今回のお家にワクワクしたのを覚えています。
実際に住んでみると不便なこともありました。
最後まで慣れなかったのは、バスルームの仕様でした。
アパートとかにある3点ユニットバスとは全く違うのですが、お風呂と洗面とトイレが一緒の部屋の中にあるので家族の誰かがお風呂に入っているとトイレを使えないし、お風呂に入った後はトイレもびちゃびちゃでなんか結構イヤでしたね。
タイル張りでめちゃくちゃ広くて見た目的には可愛くてとても好きでしたが、冬は外でお風呂に入っているみたいに凍えるように寒いし。トイレは氷のような冷たさでした。
この経験から水回りの充実は家づくりにおいて大切なポイントになったような気がします。笑
このお家には私が中学生から23歳で母が再婚して次の引越しをするまで約10年間住むことになります。
私のこれまでの人生の中で一番長く暮らした家でした。
やっぱりアパートとは違って広くて暮らしの自由度は格段に上がり、成長した私たち兄弟ものびのびと過ごしていました。
ある年のクリスマスの思い出
私が高校生の時、4つ下の弟は小学校6年生で当時まだサンタクロースを信じていました。
クリスマスの朝、起きてリビングへ行くとプレゼントを前にうなだれている弟。
クリスマスとは思えない暗い様子に異変を感じ、近くにいた母に事情を聞くと「お願いしてたやつじゃないやつが来とるって落ち込んどらすと。。」と言う。
私「え?なんで?お母さん、聞かんかったと?」
母「何回も聞いたさ〜!サンタさんにお手紙書いたら?とかお空に向かって欲しいもの言ったら?とか、けど、しんちゃん、『サンタさんはいい子にしとったら何も言わんでも欲しいものくれらすと。』って言って絶対教えてくれらっさんちゃもんー。」
私「で、何買ったと?」
母「ドンジャラ」
私「・・・。」
みなさん、ドンジャラって知ってますか?
子供用の麻雀みたいなやつでドラえもんのキャラクターが牌になっている3〜4人で遊ぶボードゲームです。
弟は子供の頃からみんなで遊ぶよりも1人で遊ぶのが好きで、聖闘士星矢になったり仮面ライダーになったりウルトラマンになったりと、そういうのが好きな男の子の代表みたいな感じで、そんな弟によりにもよってドンジャラって、母のセンスを疑いました。高校生ながらに、一番選んだらダメなやつじゃんと母に「まじで信じられん。。」と伝えました。
母曰く、いつも同じようなものばっかり買ってるからたまには全然違うやつの方が喜ぶかもしれないって思ったそうです。
大人だったらそうかもしれませんが、小学生の子供にそんな意外性いらないよ。と高校生の私でもわかりました。
この時から、母はちょっと頭が良くはないかもしれないと感じていくことになります。
福石観音のお祭り
さて、この家も前回のアパートとほぼ同じ立地にあるため周辺環境は全く同じでした。
毎年、夏のお祭りの時期になると家の前には出店が軒を連ねます。この期間は車の出し入れもできなくなるため普段福石観音の駐車場を利用している近隣の住人たちは一斉にどこかに移動をしなければなりません。今もそうだと思うのですが、みんなどうしてるんでしょうね。
このお祭りの期間は夜だけじゃなく昼間も舞台設営の工事の音だったり、イベントのマイクの声や音楽が爆音で鳴り響きます。
夏休み中は大体昼過ぎくらいまで寝て過ごしていたのですが、私の部屋の真裏がお祭りの舞台だったので、流石に爆音すぎて眠れなかったのを覚えています。笑
玄関ドアを開けるとお祭り。
前回のアパートの時から引き続き、この急にやってくる非日常はやはりとても好きで毎年楽しみな光景でした。
家の前には、回転焼きの出店が出ていてお祭りで売れ残った回転焼きを持ってきてくれていました。
回転焼きといっても餡子の入ったものではなく、ハムと卵とマヨネーズとかが入ったおかず系の回転焼きでめちゃくちゃ美味しかったのを覚えています。
お祭りの期間中は毎日売れ残りを家族みんなで楽しみに待っていました。
母の再婚と4回目の引越し
時は経ち、短大を卒業してニートとして過ごしていたある日。
何気なく母の部屋に行くと鏡台の上の手紙が目に止まり興味本位で読んでみることにしました。
叔母(私の父の姉)と母とのやりとりで中には、母が再婚をするということが書いてありました。
「お母さん結婚するのー??」と驚きました。
誰かに伝えたくて学校から帰ってきた弟に「お母さん、結婚するって知っとった??」と聞くと「知っとる。」との答え。
私「えー。誰に聞いた?」
弟「友達。」
私「友達?ウケるね。笑」
弟「ウケん。」
ちなみにうちの弟は超クールで中学生の頃から反町隆史に似ています。弟も反町隆史も歳を取りながら変化しているのですが、その変化の仕方も似ていて、3年前の私の結婚式の時にも夫の母から「反町隆史そっくりー。」と言われていました。
さて、話を元に戻します。
同じように妹に話をすると妹は怒っていました。
「私が教えてもらえなくてかわいそうだと。」笑
妹らしいなと思いました。
その後、母から「結婚するから人数が増えるし」と引越すことになりました。
母曰く、お母さんが結婚するって言ったら、あいちゃんはショック受けそうだなと思ったから早めに言ったけど、あきちゃんとしんちゃんは「そうね。」って感じやろうから後でもいいかなっと思ったそうです。
さすが母は私たちの性格をちゃんと把握してますね。笑
次回:4回目の引越しとその後の暮らし
この母の結婚で私たちの暮らしは大きく変わっていきます。
そのお話はまた来週をお楽しみに。
つづく